うさペンの館

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テイルズ オブ ゼスティリア ザ クロス(第2期) 17話 「届かない理想より目の前の正義 Justice at Hand rather than Ideal beyond One's Reach」

テイルズ オブ ゼスティリア ザ クロス(第2期) 17話 「届かない理想より目の前の正義 Justice at Hand rather than Ideal beyond One's Reach」

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復讐は果たされたはずなのに、無力感がロゼを支配する。
ロゼがこの世界の理と対峙したことで得たものは、どうしようもない無力感でした。
汚れが森を腐らせている。このままじゃローランスは終わり。
自分のしてきたことが結局はなんの意味だったのかと問いかけるのは、ロゼがロゼとして正義を真っ当してきたから。
導師と同じように救うことを目指してきたはずなのに、結局はそれはなにも現状を変えていないからです。
この結果自体にはそれほど驚きはないです。これまでこの作品が提示してきたことなので。
さてロゼの場合はスレイとは違って大きくここで分岐。
むなしさ抱えそれを言いようのない叫びに変えていました。
あの叫びというのは人間臭く、スレイがいう汚れを背負う生き方そのものなのだと思う。
受け止めてきたものを背負う、ロゼが強いからこそできたことだ。
復讐がだめだとか、殺しがだめだとか、議論の発端はそういった理想と現実が入り混じった場所で他の作品の多くが出発点で、それは物語のなかではありふれたものです。
しかし本作はその後、無力感にスポットライトを当て続けることで、人間が人間であるにはどうしたらいいのか、そういぅた大きな視野で捉えていたのが独自せいがありますね。
あくまで人間たりえるか。理性の話はロゼが憑魔にならないのはなぜかという説得力をつけるためだけではないのが物語の連動性を強く結びつける結果になっていた。
味方側が正義ばかりを遂行してきたわけでない。汚れているからこそ誰かの道標になれる。
ロゼの汚い部分を逃げなかったからこその、人としての歩みを描けた。
とにかくお涙ちょうだいだったり、ヒーローをつくりだす演出をほとんどせずに、一人の少女がなにを根拠に殺しを覚え、その結果どんな無力感に陥いったのか、それをここまで掘り下げるというのは面白かった
キャラのやりとりガン捨てでやってるので地味ちゃ地味ですが、絵面までは地味になりすぎないようにしている配慮はある。時折の戦闘であったりね。
今回は汚れた暗闇の森の光に向かって馬を走らせるロゼというのは、迷いの中にいるロゼが光に向かっているのだと表現していた。心や展開を補うコンテになっている
他にはスレイとの距離であったり、毎回会話してるだけでも目は話せん所が地味に面白いところですね。み。
復讐、理性、過去の思い出、そのすべてをさらけだされたすえに踏み出す一歩の先だ。
次週も楽しみです。